HISTORY OF THE FARM 農園の歴史と石垣苺の発祥 私たちの苺農園は100年以上前の明治後期から始まりました。昔のこの場所は、斜面地ばかりで平地が少なく、作物を育てづらい場所でした。初代園主の萩原清作は、この地に適した作物はないものかと色んな野菜や果物で何度も試行錯誤を重ねていたところ、その時に育てていた苺から伸びたツルが偶然積んであった玉石の間に入り込んだのです。これが『石垣苺』の始まりでした。その玉石の間から成った苺の実は平地で育てるより立派な苺の実になったのです。 これを見た清作は、そこから研究を重ね、様々な苦労の末に石垣栽培を確立させました。そして、この石垣栽培を他の村人にも伝え広まったことで、この地域は石垣苺の一大産地になるまで成長したのです。 当農園ではその業績が認められ、昭和初期より皇室への苺の献上が行われました。その後も、大正皇后陛下を始めとした後続の方々、ヘレン・ケラー女子、与謝野晶子女史などの各著名人、当時の首相や政府関係者、各国の視察団も、私たちの農園に訪れた記録があります。 【いちご神社】いちご神社は、正式には「清苺神社」と言います。この神社を建てたのは、この地で石垣いちご栽培を始めたとされる初代萩原清作の弟で、当家二代目の萩原大吉です。大吉は今から120年ほど前の明治末期の頃、仕事でアメリカへ行っていましたが、兄・清作の死去により日本に呼び戻され、石垣いちご栽培を引き継ぐことになりました。石垣でのいちご栽培を発見し栽培を始めた初代・清作ですが、この栽培方法を世に広め、現在のように盛んな状況になるように努力したのは、二代目の大吉でした。兄思いだった大吉は、この地で石垣いちご栽培を始めた兄・清作を偲び、またこの地を訪れて石垣いちごに触れる人々の幸せを願って「清苺神社」と命名し、ストロベリーフィールドの一角に建立しました。